"終"と人生   

お久しぶりなような気がします。4年鳴海です。

 

ついに水泳引退してしまいました。インカレで

記録だけで言えば有終の美を飾ることは全くできずむしろ中学生の時よりも遅い始末。さらに個人出場という目標は果たせなかったけど、アクアティクスで泳ぐことができてとてもうれしい気持ちと満足した気持ちでいっぱいであります。

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さて引退ブログ何書こうかなーと考え始めたのは昨日、振り返りつつ書いていこうと思います。

 

僕の水泳人生色んなことがありました。

 

人生山あり谷あり。楽しいこと苦しいこと、やりたいこと嫌なこと。水泳ってのは素晴らしくてこれら全部を味わえます。長い16年の中でも山、谷ありましたが、大学水泳4年間の中にも山、谷あります。

 

◾︎振り返り①

名鉄SS刈谷に物心着く前から通わされ、年長の途中で選手育成コースにぶち込まれ、小4の時全国優勝レベルの後輩にJOに連れて行ってもらい、中学2年の時覚醒して。

この頃が水泳人生の山です。

県大会は1位もしくは2位基本このどちらかでした。個人で全国大会に出たのはこの頃だけでほかの頃では出れませんでした。

静大水泳部入部当初(今もかもしれませんが)はこの頃の自慢ばっかしていて、今考えてもかなり痛いやつです。

ほんとにこの頃は速くてリレーですがJO予選1位通過決勝2位の興奮は一生忘れない宝物です。

 

◾︎振り返り②

この最強中学生時代を過ごしていながら、高校は公立の進学校に通いました。

高校水泳は中学水泳とは打って変わって私立スカウト勢、私立でゴリゴリに鍛え始めた勢の伸び率に圧倒されてしまいました。

公立はやはりクラブ練しかなく、更には僕のクラブのコーチが変わり環境自体はかなり変わりました。

私立勢は寮に入って私生活から水泳漬けの人や、優秀なコーチ、マネージャーの元、県大会レベルから全国大会レベルまでぐんぐん成長している人もいました。

環境が変わってさらにモチベーションも落ち気味であった僕と水泳強豪校で水泳漬けの生活+モチベーションも高いライバル。そりゃ勝てるはずもありません。これが水泳人生の谷

1度負ければ次勝つことはなく、中学時代にあまり速くなかった人にも負け、モチベーションは大会の度に落ちていきました。

高1.2の時に出ていた東海大会も高3では出場出来ず、俺の水泳人生もここで終わりかなと本当に思っていました。

 

◾︎振り返り③

大学受験の際、受験校を決めるにあたって自分の水泳の進退で決めたことがありました。

「前期受験校である大阪大学薬学部に合格したら水泳はここで終わり。後期受験校の静岡大学工学部に合格したら水泳を続けよう。」

見事合格したのは静岡大学工学部でした。そうなったら水泳やるしかありません。しかしコロナの煽りを受け僕が大学水泳をやれるようになったのは6月の頃でした。

1年の頃はほぼ大会はゼロ、2年もちゃんとした目標もないまま泳ぎ、ベストはゼロ。100baの大学ベストもビギナーズラックみたいな感じで最初の最初に出た大会で出したタイムのままでした。

大学水泳が変わったのは2年の1月。同期の中原が夏の全国公の悔しさをバネに猛練習をしている中に誘われて、その頃から先輩の引退する3月の大会を目標に頑張って練習していきました。

結果は人生ベスト。こんな数ヶ月で出ると思っていませんでした。今まで悩んでいた4年間がなんだったんだと本当に思いました。

しかし、とても努力していて速い先輩がいるうちにインカレ標準を切るという目標が達成されませんでした。この時はベスト出たはずなのに号泣してました😭

1度ベストが出ればモチベーションは高まり、関西の大会に出ようということになり食生活から試合前の調整まで人生で1番お金も使ったし、時間労力全てを注ぎ込みました。

◾︎3年の5月、同期の中原はインカレ標準を切り、僕は1.0秒ベストをたたき出しました。しかし、インカレまでは0.2秒。長水路の大会を捨て、浜名湾短水路で絶対に切るという固い意思を持って自主練を行っていきました。

◾︎3年の7月、浜名湾短水路。ターンのミスで標準を切れず。この時は応援してくれてたみんな、努力してきた過去の自分にほんとに申し訳なくて、後悔もして、高校時代ちゃんとやっとけば良かったなとか色んなこと考えました。

 

その後全国公が終わってみんながコロナになってなんとなくインカレに出てタイムでなくてオフに突入。オフ明けにコロナになって後遺症で苦しんで。3年の後期は水泳をやるのが苦しかったです。

それでも水泳部を辞めなかったのは休み明けに快く迎えてくれた部活があったからだし、休んでいる間も遊んだり、気にかけてくれた同期のみんなのおかげだと思います。

 

◾︎振り返り④

大学4年は自分ではもう泳ぐことが出来ないから、なにか残せるものはないかということで自分のノウハウを後輩に伝えようと思いました。しかし、2人はベスト更新できずに自分の不甲斐なさを痛感しました。

僕は最後の三重夏季でなぜかは分かりませんが少しだけベストを更新しインカレは切れず短水路は引退を決めました。

 

そして今があります。

 

そしてその今を支えて来たのは先輩、同期と後輩の力です。この力は僕だけのものではありません。お互いがお互いに影響しあって得られる力です。しかも競泳という部分だけではなく、私生活や部活運営など色んなところで力は発揮されます。この力があるからこそ大学水泳は面白くて、何よりかけがえのない思い出を作ってくれます。自分一人と思わず、みんなで闘っているんだよということを忘れないで欲しいです。自分が引退してから気づくことも多いですが、引退する前に気づけたらより大きく羽ばたけたんじゃないかなって思います。

 

最後に。大体のことは始まりはなんとなく、終わりは自分でつけるものです。正直高校生から自分はいつ辞めてもおかしくない状況で水泳を続けていました。ただ静大に入ったから、水泳部が心地よかったから、素晴らしい先輩同期、後輩に出逢えたから。そんな偶然が僕を動かしています。そんな偶然も学生という立場では強制的に終わりが来ます。そこをなんとなく終わるのか、努力して最後に笑って終わらせるのか。終わり方を決めるのは自分です。悔いのないように一生懸命やってください。

 

サイコーに楽しい4年間でした。

ありがとう

 

 

鳴海チョイスベストショット3.4年編公開します。

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