1年生トップバッターです

皆さん、はじめまして。静岡大学浜松キャンパス水泳部1年の上山愛莉です。

初回のテーマは自己紹介にします。

 

出生地は京都ですが、すぐに東京、そして上海、神奈川と移り住み、一番長く住んだのは神奈川ですので、ほぼ神奈川県の出身ということ(?)でお願いします。そして今は浜松に住んでいます。

 

趣味は茶道、流派は裏千家で、中高の6年間は茶道部で日本の伝統文化であるおもてなしの精神、わびさびの美しさに親しんできました。

 

とまじめに書いても笑われ誰からも信じてもらえないと思うので、やはり話を水泳に戻します。

 

水泳はベビースイミングから始めていたらしいのですが、あまり記憶になく、微かに覚えているのは、小3のはじめにニチレイ泳力検定3級でいきなり初距離の50mを泳ぐことになり、自由形56.0と平泳ぎ1:24.0というタイムと小さなメダルが残っている程度。

 

実は、神奈川県ではジュニアからマスターズまで競泳が盛んです。ジュニア時代から有名選手を輩出しているスイミングクラブが多くあります。まったく無知な私と両親は、選手コースには無関心、近所にあって便利というだけでスイミングクラブを選び、一般コースで4泳法を身に付けるべく、神奈川に引っ越してきた小1から週1回のレッスンに通っていました。

 

後から知りましたが、私の通ったところの選手コースは中堅どころのそこそこ強いクラブでした。選手コースには皆幼稚園の頃に、キックが強い、既に速いなどコーチの目に留まった子たちが選ばれて声を掛けられるみたいです。いわゆる英才教育重視というものなのでしょう。

 

私は引っ越してきてからまったくマイペースで競泳とは無縁に水泳を続けて、小4の直前でようやく4泳法をマスターしました。その頃、ロンドンオリンピックでの日本の活躍がありました。松田選手の「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」という有名な(?)言葉があり、とても印象に残っています。徐々に競泳に興味を持つようになりました。そのためか、ふと隣のレーンで魚の群れのように周回している小さな子どもたちに気が向くようになりました。

 

今から考えると、無知ゆえに可能だったと思いますが、「私もあの子たちと泳ぎたいのですが、あのクラスにどうやったら入れますか?」といつも習っていたコーチに聞くと、「じゃあ、来週からどうぞ。でももうあなたは小4なので、あの子たちとは違う大きい子たちのクラスになる。」ということでした。その方は、偶然ですが小学高学年の選手コースのコーチでした。なぜ一般コースから選手コースにあのタイミングで入れたのかは未だに不明です。異色の路線からの入部です。コーチには今でも感謝の気持ちでいっぱいです。その後徹底的に鍛え上げられ、色々な大会や合宿に連れて行ってもらいました。朝練、夕練、1万メートル超え、100×100本、パドル、シュノーケル、フィン、ドライランド、ジュニアプロテインなどなど、今考えると小学生にはむちゃくちゃかもしれませんね。(笑)

 

実際にその小4の春から小6の秋までに更新していったタイムが私の生涯ベストであるものがほとんどです。その後の苦労話は今はおいておきます。

 

大学生となり、5年ぶりに競泳に復帰しました。なぜ茶道ではなくて(ええ加減にせぇという声が聞こえてきそうですが)水泳部かという理由も機会があればお話します。

 

今、静岡大学の水泳部に入って本当に良かったと思います。良い先輩方、同期の皆に恵まれました。

 

私がむかし出た大会のポスターにあった好きな言葉です。

 

「泣いたのがプールなら、笑うのもプールだ。」

 

もっとうまく泳ぎ、速く泳ぎたいと思います。リレーも沢山出たいです。そのためにプールでのきついきつーい練習を乗りこえて、プールで皆と勝負に勝って喜び合うことを楽しみにしています。

 

勝負といえば、ついでになりますが、10歳以下、11歳12歳の私が出した生涯ベストを大学生の私が今から更新していきたいです。数字が残っている競技ってそういう楽しみ方も出来るので非常に面白いですね。

 

最後まで読んで頂きましてありがとうございます。

 

次も楽しみにしていてください!