私の軌跡

【挨拶、雑談】

 こんにちは、SUST浜松4年の山下一也です。身を切るような冬の寒さも去り、夏の足音が少しずつ近づいてきましたね。私は4月下旬から5月上旬頃の草や葉の少し青臭さを含んだ風の感じが好きで、今年も夏が来るなとどこか浮足立つような感じがしてきます。というのも私、実は夏が結構好きだったりするのです。理由としては、水泳関連では学校の長水路での練習が始まり、大会に向けて一致団結感がより増すのでそこも好きですが、私は練習前後の時間に仲間と「あぢー」と言いながらプールサイドで寝転んだり、水の上にプカプカと浮いてだべっている、そんな時間が好きなのも夏の好きな理由かもしれません。ほかにも夏は夏祭りやBBQなどのイベントが多数あり、純粋に楽しめる季節であるところが好きですね。まあ、浜松来てから夏祭り行ったことないので今年は行ってみたいですね、、、ね、水泳部の皆さん(チラッ)。

 まあ、だからと言って冬が嫌いかと言われればそんなこともなく、、、おっと、雑談が過ぎましたね。では、この辺で今日の本題に入ろうと思います。

 

【全国公突破!!】

 先日、三重県鈴鹿市で行われた津田チャンピオンズカップにて200m平泳ぎに出場し、全国国公立大学選手権水泳競技大会の長水路の参加標準記録を切ることができました。大学に入ってからずっと目標にしてきた大会だったので言葉では表せないほど嬉しかったです。正直無理かもと思うこともあったので、レース後に電光掲示板を見たときは見間違いかと思ってしまいました。

 この素晴らしい機会に私の今までの人生の軌跡を簡潔にお話ししようと思います。かなり長くなりますし、ただの自分語りなのでダルいかもしれませんが読んでいただけると嬉しいです。またこれを読んでいただければ私の全国公突破の喜びをもっとわかっていただけると思うので、お暇な方はぜひ。もしめんどくさい方は下の方に≪要約≫があるのでそちらもどうぞ。それでは、、、

 

【軌跡】

 ≪中学~高校2年≫

 まず、中学の頃は勉強も赤点を取らない程度にしかせず、高校受験もとりあえず実力で入れそうなところになんとなく入ったという形でした。部活動に関しては一応吹奏楽部に所属していましたがそれも運動したくないから消去法で選んだだけで、特に努力するでもなく3年間なんとなく終わってしまいました。

 それから高校に上がっても勉強は相変わらずでした。部活は運動不足が気になってきたのと高校には水泳部があったので運動不足解消程度の目的で入りました(水泳の練習がどんなものか全く知らず、軽く見ておりました)。結果としては地獄を見ました。もともと運動が嫌いだった男がいきなり運動部の中でもきつい部類に入る(と私は思っている)水泳部に入ったのですから当然です。それに加えて、私の高校の水泳部はかなり強く、部員のほとんどが顧問の先生からスカウトされる形で入部するような部活でした。そのため練習についていけないことが多かったです。また、他の部員(特に同期)との実力の差が大きかったため、自分の目標に向かって頑張る彼らをどこか遠い目で見ており(仲が悪いとか嫌いとかではないです)、特に感化されることはありませんでした。結果、特に目標も決めずに練習についていくために練習するという形になっていました。

 まあ簡単にまとめると、高2までは目標を持ったことがなかったのです。

 

≪高校3年≫

 転機が訪れたのは高3の最初です。私は平泳ぎを専門にしていたのですが1年生に平泳ぎ専門の選手が1人入ることを知り、危機感を覚えました。もともと私の高校の水泳部には平泳ぎ専門が私を含めて3人いたのでその1年生が入ると4人になってしまいます。夏の大会で平泳ぎに出場できるのは3人まで(俗に言うレギュラー)なので1人出場できないことになります。そうなると4人の中でタイムの遅い私が退くことになります。しかし、後輩に負けて先輩として情けないとか、3年間しんどい思いをして練習してきたわけだから少しは報われてもいいんじゃないかとか、最後くらい同期と同じ舞台で胸張って自分の専門種目でやりきりたいとかいろんな思いがあり、平泳ぎに出たいと思うようになりました。そのときが私が人生で初めて明確な目標を見据えた瞬間でした。それと同時にレギュラー決めまでの数か月間の努力が始まりました。

 目標を見据えたのもそれに向けて何が必要か自分で考えて動いたのも初めての経験でした。ついていくだけで満足していた練習でも、なにかしらプラスアルファを見出そうと意識し始めました。それまでゆっくり穏やかに過ぎていた時間が急にものすごい速度で過ぎていくように感じました。1日1がそれまでとは比べ物にならない密度でした。

 結果はダメでした。

 レギュラー選考のレースでベストを出したらレギュラーにすると言われたレースで大失敗をやらかし、結果はベスト+1秒、私はレギュラーを空け渡すことになりました。こんなにもあっさりと無情に終わるものなのかと、まさしく絶望と呼ぶのがふさわしいような感情になりました。その瞬間の光景は今でも覚えていますし、たぶん死ぬまで忘れないと思います。それと同時に、心のどこかでなんとかなると思っていた自分の甘さに初めて気づきました。

 結局、夏の大会では専門外の種目に出て、私の高校水泳は終わりました。

 水泳という人生で初めての目標への挑戦が失敗に終わった私に次の目標ができたのはそれからすぐのことでした。6月に水泳が終わり、7月の東海大会まで部活に(マネージャーとして)参加したあと、本格的に大学受験に向けて動き始めました。当然ながら目標は志望大学合格です。それまでも志望している大学はあったのですが本格的に目標にしたのはそのときでした。レギュラー決めまでの数か月で培った私なりの努力の方法で勉強に取り組みました。しかし、努力はなかなか続かず、難航していきました。もともとの怠け癖も要因の1つですが、レギュラーをおとした瞬間に味わった感情が何度も思い出され、またあの気持ちになるかもしれないと怯えていたのもその要因でした。「まただめかもしれない」そう思うたびに努力することが少しずつ怖くなっていき、最終的には妥協点を探し始める始末でした。ここまで書けばわかる通り、私の人生2回目の目標も失敗に終わり、滑り止めの形で静大に入ることになりました。このときの感情はレギュラーをおとした瞬間の絶望に比べたらはるかに軽いものでした。1回目の失敗で味わったとてつもない絶望に対する恐怖から「だめで当然」と予防線を張っていたためです。この予防線は「目標は失敗して当然」という失敗を悔しいと思わない、負の連鎖を生み出すことになりました。

 

≪大学1~2年≫

 大学に入ってから、先述の予防線は抜群の威力を発揮して私の目標のことごとくを破壊していきました。水泳はベストこそ出てはいたものの目標にした全国公には遠く届かず、勉強面でも学科内のコース選択や研究室配属で成績が足りず目標とする場所に行けず、小さな絶望を度々味わうことになりました。小さな絶望が人を大人にするとどこかの漫画のキャラが言っていましたが私はいつまでも失敗続きの子どものままのような気がしていました。

 

≪大学3~4年≫

 大学3年の夏が終わり残る全国公のチャンスはあと1回になった頃、もう一度大きな転機が訪れました。来年は全国公出られるかな、と漠然と考えていた時、高3のときに感じた危機感に近い気持ちが出てきました。今まで目標を達成できない危機感は幾度も感じてきましたがそれとは違う、初めて目標を見据えたときに近い感情でした。この感情の原因としては「このまま目標を達成できなかったらもう二度と立ち上がれなくなる」と確信していたためだと思います。先述の通り、私は水泳を高校から始めました。選手としては少し遅いスタートだったとは思いますが、それでも7年という短くはない歳月を水泳に費やしてきました。それに人生最初の目標が水泳だったということもあり、水泳は私の中で決して小さいものではないと思っています。そんな水泳を私は大学いっぱいで引退するつもりです。そのときになんの目標も達成できなかったと高3のレギュラーをおとしたときと同じ気持ちで引退するようなことになれば、私にとって小さいものではない水泳を嫌いになって水泳人生の幕を引くことになるのではないか、そうなれば今後の人生でもう二度となにか大きな目標を立てて新しいことに挑戦できなくなるのではないかと思いました。

 しかし、今までの失敗の経験から「今回もだめかもしれない、たぶんだめだろうな」と常に考え続けていました。そのため練習などでしんどくなると急激にモチベーションが落ちてしまい、自主練もなかなか続きませんでした。しかしそんな中でも危機感を原動力に限りなくネガティブになっていく気持ちと常に戦いながらついに全国公を突破して目標を達成することができました。

 これが人生で初めての成功体験でした。

 

≪要約≫

 今までの長い話をまとめると以下のような流れになります。

・高3で初めて目標を立てたが失敗に終わった

・それ以来、何度も目標を立てて努力してきたが、失敗するのが怖くて努力が続かなかった

・大3で「水泳人生最後を納得できる形で終わりたい」「もし納得できない形で終わったら一生尾を引き続ける」という思いから失敗する恐怖と戦い続けながら努力した

・大4で人生で初めて目標を達成して成功体験を得た

 

【成功体験】

 目標を達成した瞬間は思っていたよりあっさりとしていましたが、そのとき見た光景はたぶん忘れない気がします。また、「結果よりそこに至る過程が大事だ」というよく言われる文句を少し理解できた気がします。しかし、これも成功を経験することで理解できることであるとも思います。これは私が何度も重ねた失敗の経験からですが、失敗した状態で「過程が大事」と言っても失敗に理由をつけて逃げているような気になってしまうからです。

 いずれにせよこの成功体験は私の人生においてとても大きいものになると確信しています。私の初めての目標のきっかけとなった水泳人生をいい形で終わることができ、そこから新しい挑戦を始めることができるからです。また、数多くの失敗とそれを乗り越えたうえで成功した経験はこの後の人生で必ず役に立つはずです。あれだけ厳しく辛い状況を乗り越えて目標を達成したのですから、今後どんな壁があらわれても必ず乗り越えられるし、必ず乗り越えてやると思っています。

 

【あとがき】

 ここまで読んでいただきありがとうございました。いろいろ書き殴ったらバカみたいに長くなりました。ほとんど自分語り、持論展開、勝手な決意をズラズラと並べただけでしたがもし楽しんでいただけたら幸いです。楽しめたあなたはかなりの変人です、自信持ってください。

 なんか引退する人の記事みたいになりましたがまだまだ数か月あるので今よりもっといい形で水泳人生に幕を引けるようにこれからは気持ちを新たに頑張っていきたいと思います。

 とりあえず体重65 kgまで落としたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

 

 

 季節の変わり目です、ご自愛ください。では、、、