感覚の共有って、難しいですよね

お久しぶりです! 絶賛迷走中の遠藤です‼

というのも、9月あたりから始めた、自由形のフォーム大改造で、最近やっと元のスピードに近いタイムが出るようになってきたというのが背景にあります。

 

自ら試行錯誤しつつ、先輩からダメ出しなりアドバイスなり受けながら、修正に修正を重ねてやっと最近フォームの核心をかすり始めたのかなというところです......!

そんな中でも、夏前あたりから大世さんがよく口にしていた、「脇で泳ぐ」という感覚が、やっとわかってきたという話を、昨日大世さんとウエイトをしているときに1時間くらいしたので今回はこのテーマでブログを書かせてもらっています。

 

まあ、タイトルにもあるとおり、感覚の共有は本当に難しいもので、このブログを読んだだけで理解できる人はそういないと思うので、ここに感覚を記すのは割愛しようと思います(日本語弱者すぎて絶対長くなる)

 

※以降はめちゃくちゃ理解しづらいかも(日本語下手すぎて)

少し学術的な話になりますが、こういった「感覚」というものは、スポーツ科学認知科学上では、「身体知」と呼ばれています(僕は認知科学に関する研究をする実習に参加しているので、この言葉を知りました)

この「身体知」ですが、ある人AがBに自分の身体知を伝えようとしたとき(今回は大世さんが僕に「脇で泳ぐ」感覚を伝えようとしたとき)、AはBではないため、Aの持っている身体知を言語に置き換えて、それをBに伝えるという方法しか、伝える方法はありません。しかし、これでは、言語を受け取ったBの受け取り方は、その感受性によってAとは全く違った身体知として置き換わってしまいます。(僕の場合は特に、持っていない感覚だったので、言葉で伝えられても、理解できませんでした)

 

余談はさておき、今回やっとつかんだ「脇で泳ぐ」感覚については、理解してからやっと気づいたことでしたが、地元のコーチから同じアドバイスを受けていたんですよね、それも全く違った言葉で(肩甲骨から水をキャッチするなど)。

 

さらに、去年の4年生の先輩(りょうたさん)は「脇で泳ぐ」ではなく「背中で泳ぐ」とも表現していました。(もしかしたらそれもまた違った感覚なのかもしれませんが)

 

 

いろんな人のいろんな感覚や表現が存在するこの世の中に、面白いと興味を持った出来事でした。(卒業研究のテーマはこれで決まりだな(笑) )

 

 

本年のブログは以上になります‼(はずです)

 

今年も静岡大学水泳部を応援いただき、ありがとうございました‼

 

来年はさらなる活躍ができるように日々精進しますのでどうか、来年もよろしくお願いいたします。

(定期ブログは来年も続きますので)

 

次回もお楽しみに‼

それでは皆さん、良いお年を~